 |













|
 |




秋田蕗は、キク科フキ属の一種で、秋田市仁井田地区で栽培されている秋田市の特産品です。

民謡「秋田音頭」にも謡われる秋田蕗は、『秋田の国では雨が降ってもカラ傘などいらぬ手ごろの蕗の葉サラリとさしかけさっさと出て行がえ』と謡われているほどです。大きいもので、茎の長さ約1.5m、茎の直径が8cm、また、円形の葉は直径が約1.3mと長大なことでも知られています。

昔は、北海道や東北各地で自生していた記録がありますが、今は栽培しているもの以外は、ほとんど姿を見ることができません。生産はすべて契約栽培であり、県内ではほかに鹿角市で栽培されているのみです。 |





| 秋田蕗は、茎の部分を食用としていますが、肉質が粗く繊維が多いため、砂糖漬けに加工されて出荷され、お土産用に販売されています。また、食用以外では、工芸品の「秋田蕗摺(あきたふきずり)」の材料として用いられています。「秋田蕗摺」(あきたふきずり)は、秋田蕗の葉脈や茎の細かい筋を布や紙に鮮明に刷り込む染色工芸です。1862年(文久2年)、宮腰精次郎が考案しました。ふすま、ふろしき、建具、屏風、衝立、日傘などが作られています。 |





秋田ふきが秋田の名物として、世の中に知られるようになった伝説をご紹介します。
寛延元年(一七四八年)三月十五日、秋田の五代目藩主佐竹義峰侯が、江戸城に登城したときのこと、城内の大広間には諸国の大名達が参列し、それぞれ自国領内の名産を自慢しあった。
そこで義峰侯は、「秋田の比内長木沢の蕗は、その太さ竹のごとく、葉は傘のようである」と自慢した。
並居る諸大名は、驚き、かついぶかしんだが、中でも、松平安芸守は、「そんな大きな蕗が世の中にあるものか」と言下に否定し、大笑いをしたので、そこにいた諸大名は皆嘲弄(ちょうろう)した。義峰侯は甚しく立腹し、あわや大事になるところであったか、仲介の大名におしとどめられ、ようやくその場は事なきを得た。
義峰侯は、屋敷へ帰ると、早速、家臣の大島左仲、那珂采女らに、城中の出来事を語ったところ、近侍の家来は、恥を凌ぐのはいと易いこと、それには大蕗を採って目にものを見せたがいいと申したので、ひそかに長木沢の蕗を採って、江戸へ送るように命じた。
一方その命が、久保田藩より、長木沢の山拠人阿部十右衛門に伝えられた。そこで十右衛門は、長木山中に入り七日間探した結果、ついに大蕗二本を得た。すなわち、一本は周りが一尺二寸(約36センチメートル)、長さが一丈二尺(約3.6メートル)で、他の一本は、周りが八寸(約24センチメートル)、長さがやはり一丈二尺もある古今稀なる大蕗であった。十右衛門は、早速これを藩に献じたので、やがて、この立派な蕗は、飛脚をもって江戸の藩邸に届けられた。
ある日、義峰侯は、自邸の床間へ鉢植えにしてこの蕗を飾り、蕗を用いた料理で膳部を整えて、幕府の大目付役寛播磨守を始め、諸大名を招待した。酒宴半ばに那珂采女が、座中に進み出で、「過日藩侯の申された秋田の蕗はこの床間にあるようなものである」と述べたので殿中で笑った大名達は、皆驚嘆し、ことに安芸守は、過日の無礼を深く謝したということである。
(「仁井田村郷士誌」より抜粋) |
|
 |
|
 |
|
|